個性という言葉は、世の中ではその言葉の定義が広がりつつあります。ハンディキャップをもつ方、ADHDなどの発達障害のお子さん、性同一性障害の方などをそれぞれ「 個性 」としてとらえ、周囲と共生していくことが求められています。
これまでの個性という言葉のわくを超えて用いる時代になりつつあります。
個性という言葉の意味のひろがり
マイノリティーの方々を知ることと個性
私たちの周囲にはハンディキャップを負った人やさまざまな性を示す性同一性障害の方、発達障害をお持ちの方、外国人を親に持つ方などさまざまな人々が同じ地域に暮らしています。日本のいたるところで自分たちの身近な場所に一緒に生活しています。
こうした方々の声というのは一般の社会にはなかなか届きにくい面があるのはたしかです。しかし私たちの周囲には目立ちこそしませんが、そうした方々が数多くいらっしゃるのもまちがいありません。
そうした人々の存在に目を向け、こうした方々が個性を発揮しづらい現状の不十分さや不具合などを知ろうとすることから始めたいものです。これが誤解を解くきっかけになると考えます。そして社会のしくみやあり方を見つめ直せるようにしたいものです。
オリンピックとパラリンピック
最近ではスポーツの世界が変わりつつあります。ハンディキャップのある方々のスポーツの祭典であるパラリンピックの中継がオリンピックに続いて少しづつテレビなど報道されるようになってきました。
これらの方々の活躍する様子には胸がうたれますし、こうしたハンディキャップを克服した人としての強さを感じ取ることができます。
ご家庭でお子さんたちとともに、こうした活躍の場面に接することを通じて、理解をすすめるのもいいでしょう。お子さんたちの心に響き、とどくものがかならずあるでしょう。
こうしたスポーツという身近な場面であれば、わかりやすくて素直に感動できます。それをきっかけとして、ハンデキャップなどのマイノリティーの人々の様子や現状をお子さんたちが知るきっかけにしたいものです。
何もかも多数決?
こうした方々やそのご家庭のお子さんたちが暮らしにくさを感じたり、学校で肩身の狭い思いをせずともすごせるように、むしろ周囲がそれとなく気づいて配慮ができたり、自然にサポートができたり、個性を発揮できたりするような社会が望まれます。
こうした声を上げにくいマイノリティーの人々への配慮や共生していくうえでの障壁は何でしょう。それには意見を収集しつつ周囲の人々が加わって一緒に進めていくことも大切でしょう。
マイノリティーの人々は多数決の場では弱い立場になりがちです。世の中を変えたくても多数決の場ではなかなかそれは果たせない状況です。むしろ大多数の周囲の人々が、こうした人々の個性に目を向けて活動することで、よりよく変えていくほうが容易ともいえます。
しかもそれらの人々の生活やくらしを尊重し、理解のある態度で接していくことが同時に求められます。
個性についてふだんの生活の中でできること
こうしたマイノリティーの方々に関することは何も特別なことではありません。率直に疑問を感じるならば、そうした機関やサポートする場にたずねてみることもよいでしょう。
ふだんの子育ての中でお子さんたちと一緒に、こうした人々とともに活動しサポートすることもできるでしょう。さらにたとえばさまざまな支援や寄付を通じて参画することも同じです。
個性が尊重される世の中へ
こうした状況のお子さんたちは身近にいます。もはや現代の日本ではそれが当たり前のことになりつつあります。しかしこうしたマイノリティーの立場になりがちな人々を、自分とは違う、「ふつうじゃない」と判断してしまうことはどうでしょうか。
とくに学校でこうした子どもたちが皆と一緒に平等になかよく暮らせるように、そしてこうしたことが個性として自然に感じてもらえるようにすることがいま求められています。
こうしたマイノリティーの方々も含めて個性がかがやきをみせて世の中で発揮でき、活躍できるような世界にしたいものです。
まとめ
個性という言葉の意味のひろがり
マイノリティーを知ろう
オリンピックとパラリンピック
何もかも多数決?
個性についてふだんの生活の中でできること
個性が尊重される世の中へ