子供を持つ親御さんにとってどうやって子供を育てていくか考えることは多いと思います。様々な教育法がある中の1つとしてモンテッソーリ教育があります。
この世界的に有名なったモンテッソーリ教育の創設者 モンテッソーリ についてまとめてみました。
モンテッソーリの生い立ちと教育法ができるまで
- 目次 -
モンテッソーリはイタリア産まれの女性です
モンテッソーリは、本名をマリア モンテッソーリといいます。1870年にイタリアのキアラヴァッレという所で産まれました。ブーツの形ににているイタリアの国。ブーツのふくらはぎの上あたりにあり場所を想像してみるとわかりやすいかもしれません。
彼女は医師の資格ももっており、自分の名前を付けたモンテッソーリ教育の開発者でもあります。1952年の6月にオランダで81歳の生命を終えました。イタリアの紙幣がリラだった頃彼女の顔が1000リラ札に選ばれていました。
モンテッソーリの幼少期
モンテッソーリの育った家庭はブルジョアと呼ばれる中産階級でした。モンテッソーリの父親は、公務員で会計の仕事についていました。規律や躾が非常に厳しい家庭だったようです。マリア モンテッソーリは幼少時期にすでに先生になることを両親から望まれていました。
5歳の時に家族でローマに移り住みます。躾に厳しい父親とモンテッソーリの自由を尊重する母親の間で彼女は育っていきます。
チャンレジ精神旺盛の青年期のモンテッソーリ
マリア モンテッソーリは、数学と料理に興味を持つ子供に育っていきます。父親とマリア モンテッソーリの関係は常に緊迫したものでした。その当時は男子生徒のみが在籍していた学校に入学し物理学の面白さに目覚めていきます。そして、将来は医師になることを決意します。
まだ女性差別が厳しい時代で大学の医学部も男性のみが在籍していた状況での中、モンテッソーリは入学を果たします。その時点で父親は娘のマリア モンテッソーリの興味や関心ごとに係わるのをあきらめたようです。
父親の理解を得られなかった辛い時代でしたが、大学の先生達や家族の応援もあり奨学金などを得ながら、26歳で見事イタリアで初めての女性医師の一人として医師免許を取得しました。
医師としてのキャリアをスタート
マリア モンテッソーリは医師としてローマ大学の付属病院でキャリアをスタートさせました。配属先は、知的障害児が多く入院していた精神病院です。
モンテッソーリは知的障害がある子供達を観察しているうちにあることに気づきます。知的障害の子供達の知能の向上や発展を促すおもちゃがないということでした。彼らが物事を学習していく上で、身体の動きや感覚を刺激することが指導していく上で重要だとを認識するのです。
自ら聴覚障害者の文献を読み学習していきます。そして、教育学を研究しようと決意し、積極的に学会などに参加するようになります。そして健常児の子供の教育にも興味をもち、大学に再びはいり哲学と心理学を学びます。
初めて作られたモンテッソーリの子供の家
1907年に初めてモンテッソーリは「子供の家」と呼ばれる教育の施設をローマに作ります。作られた施設の場所は、貧困層が多くいる地区で清潔な環境を整えることが重要視されていました。
子供の両親達は、自由に施設に出入りすることを許可されていましたが、身なりをきちんと整えることなどは厳しく管理されていました。指導者達は、その建物に宿泊し子供と密接な関係を気づくよう指導されていたそうです。
モンテッソーリの子供の家は、彼女の教育法を確立する大切な実践の場であったといえます。
覚えておきたいモンテッソーリの言葉
「よく観察すること、そして判断をくださないこと」これは彼女が、モンテッソーリ教育の指導者によく伝えていた言葉です。
知的障害児の動きを観察しながら、様々な遊具などを開発していき、障害児の知的能力向上に成果をあげたモンテッソーリ。現在では、世界に2万以上のモンテソーリの教育法を取り入れた学校があるといわれています。
子供をどう育てていくか考える上で、モンテッソーリの言葉はシンプルですが本質をついてる言葉といえるでしょう。
まとめ
モンテッソーリの生い立ちと教育法ができるまで
モンテッソーリはイタリア産まれの女性です
モンテッソーリの幼少期
チャレンジ精神旺盛の青年期のモンテッソーリ
医師としてのキャリアをスタート
初めて作られたモンテッソーリの子供の家
覚えておきたいモンテッソーリの言葉