節分 の日 は幼稚園や保育園などでは先生が鬼役をして子供たちが「鬼は外、福は内」と鬼に向かって豆をまく様子は微笑ましい様子でもあります。ここ十数年の間に恵方巻を食べるという風習も全国に広まってきました。今回は節分についてご紹介します。
節分の日の豆まき方法とそのほかの風習とは?
節分とは?
節分の日とは季節の節目という意味のため厳密には2月3日だけではなく立夏・立秋・立冬の前日はいずれも節分になります。旧暦では立春頃から新年が始まったため、その前日の節分は年の最後(=大晦日)という事で2月3日には大々的にお祝いするようになりました。
節分の祝いは元々中国から伝えられた風習で邪気や災難を追い払い新春に福を呼ぶことを願ったものです。
平安時代には節分は邪気が生まれやすいと考えられ宮中ではそれを追い払うための悪霊払いの追儺(ついな)という行事が行われていました。それが室町時代には豆をまいて鬼を邪気や災いと見立ててその邪気を祓うために豆まきする形が民衆にも広まったとされています。
なぜ鬼に豆をまくの?
古来より鬼という呼び名は隠(おぬ)が転じたものと言われていて、この世に存在せず姿が見えないものを意味していました。戦乱や災害、飢餓など恐ろしい厄災は鬼によって引き起こされるものと信じられていて人々の世に不幸を送り込む存在と考えられていました。
豆をまく理由としては大豆は五穀の一つで穀霊が宿るとされていて米と同様に神事に使われていました。
穀霊で邪気を祓うために最適な大きさであった事と、魔滅(まめ:悪魔を滅亡させる)のために魔目(まめ:悪魔のような鬼の目)めがけて豆を投げるという語呂合わせもあって豆が使われるようになったと言われています。
節分の日の準備として豆は必ず前日に炒って三方(神様にお供え物をする器)や枡に入れて神棚に備えておく必要があります。
炒らないままの豆をまいてしまうと拾い忘れた豆から芽が出てしまう恐れがあります。邪気を祓うために豆をまいているのに芽が出てしまったら邪気がそこに残ってしまい縁起が悪いとされています。
また炒るは射るにも通じています。炒る事で鬼を封じ込めてまいた豆を最後に人が食べる事で鬼を退治したと考えていたそうです。室町時代には既に「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまいていたという文献が見つかっています。
豆まきのやり方とは?
節分の日の豆のまきは地域によってやり方が異なるところもあります。今回は一般的なやり方を紹介します。豆まきは鬼がやってくると言われている夜に行います。家中の窓や玄関などの入り口を開けて鬼を待ち構える状態にします。
豆をまくのは基本的には一家の主または年男(その年の干支生まれの人)・年女や厄年の人とされていますが、現在では家族みんなで楽しむ行事として家族全員でまく事が一般的になってきたようです。
豆は「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆をまきます。家の最も奥の部屋から順番にまき始め最後に玄関にまきます。
地域や神社によっては鬼をまつっているところは「鬼は外」ではなく「鬼は内」や「鬼も内」という掛け声になります。豆まきが終わったら1年の厄除けを願い自分の数え年(自分の年齢よりも1つ多い年)分の豆を食べると病気にならないと信じられています。
豆まき以外の風習とは?
ここ十数年で節分の日には豆まきをするだけでなく恵方巻を食べるという風習が全国に広まってきています。恵方(歳神様(としとくじん:歳神様の別称)がいるとされる縁起の良い方角)を向いて恵方巻(福を巻き込むと言われる巻き寿司)を無言で丸かじりするというものです。
喋ってしまうと運が逃げてしまう事から最後まで無言で食べます。全て食べきると一年間健康に過ごすことができると言われています。恵方巻の風習は特に大阪を中心として根付いていました。
それが1980年代後半に広島地区の某コンビニエンスストアで節分の時期に恵方巻の販売を開始し90年代半ばには関西以西地区に、そして90年代後半には日本全国に販売されるようになった事により様々なメディアで取り扱われるようになって日本国民に広く恵方巻が知られることとなりました。
またその他にも節分の日には焼いたイワシの頭をヒイラギの枝に刺した柊鰯(ひいらぎいわし)を飾る風習もあります。古来より臭いものやとがったものには魔よけの効果があると考えられていました。
節分の日には鬼が魔、イワシの頭が臭いもの、柊の葉のトゲがとがったものを指していて柊鰯を飾る事によって鬼が家の中に入ってくることを防ぐという事なのです。
まとめ
節分の日の豆まき方法とそのほかの風習とは?
節分とは?
なぜ鬼に豆をまくの?
豆まきのやり方とは?
豆まき以外の風習とは?